今日は衆議院議員選挙の投票日

昨夜から降り始めた雪は、街を一面の雪景色に変え、庭の木の枝にもたっぷりと積もっていました。
雪が降りしきる中、自宅から徒歩5分ほどの小学校へ、衆議院議員選挙の投票に行ってきました。
静かな雪の日の投票所は、どこか特別な空気があり、
「一票を投じる」という行為の重みを、いつもより少しだけ強く感じた気がします。
政治に期待するもの
テレビやネットで連日流れる選挙報道、各党が掲げるさまざまな政策を参考にしながら、
自分なりに考え、一票を投じました。
もし掲げられている政策が本当に実現されれば、
今よりも少しは生活が楽になるのではないか――
そんな淡い期待を抱くのも、正直な気持ちです。
消費税減税、物価高対策、家族・子育て支援など。
特に私を含むロスジェネ世代の多くは、バブル崩壊後の「失われた30年」の影響を、
他の世代以上に強く受けてきたのではないかと思います。
その背景に、政治の失策があったのではないか、という意見が多くあるのも事実です。
だからこそ、「政治によって今の状況を少しでも良くしてもらいたい」と思う気持ちは、
決して不自然なものではないと感じます。
政治への過度な期待や批判
一方で、選挙の時期に限らず、日常的に政治への批判も多く聞かれます。
「税金が高い」「米の値段が上がった」「政治家のスキャンダル」――
挙げればきりがありません。
ただ、批判だけを繰り返したり、政治にすべてを期待しすぎたりする姿勢は、
どこか原因他人論(他責思考)に寄ってしまう危うさも感じます。
もちろん、就職氷河期世代が置かれていた状況は、
本人の努力だけではどうにもならない現実がありました。
就職率の低さはデータが示す通りですし、
何百社受けても内定が出ない、という話も珍しくありませんでした。
私が大学生の頃、深夜アルバイトをしていたコンビニには、
東京大学の大学院生が働いていたこともあります。
それほどまでに厳しい時代だったのだと思います。
■ 自分自身の努力
これは、あくまで自分自身への戒めでもあります。
私は、環境が悪かった、産まれた時代が悪かった、という理由だけで、
すべてを他責にして生きていきたくはありません。
ふと、大学を卒業して新入社員として働き始めた頃のことを思い出しました。
当時の職場の先輩から、こんなことを聞かれたことがあります。
「努力って、どういうことか分かるか?」
※先輩は関西人だったので、実際はもう少し砕けた言い方だった気もしますが。
少し考えた末、私は
「努力は……頑張ることですか?」
と答えました。今思うと、少し恥ずかしい答えです。
すると先輩は、笑いながらこう言いました。
「違うで。努力っていうのはな、“行動すること”や」
そのときとても衝撃を受けたのを覚えています。
更に後に辞書で「努力」という言葉を調べてみると、
努力(どりょく)とは、目標達成や目的遂行のために、
心身の労力を費やして意識的に行動し続けることである。
と書かれていました。
ただ考えることでも、悩み続けることでもなく、
実際に「行動し続けること」こそが努力なのだと、
このとき初めて腹落ちした気がします。
これまでの人生で、苦しい時期を何度も経験してきましたが、
その都度、行動し、決断してきたのもまた自分自身です。
その選択の積み重ねを、私は尊重したいと思っています。
今どのような状況にあっても、
目標を立て、小さくても行動を続けていけば、
今よりも少し良い生活や、人生をかけて取り組める仕事へと
繋がっていく可能性は、まだ残されているはずです。
おわりに
政治に関心を持ち、国民の権利である選挙に参加することは、とても大切なことだと思います。
その一方で、自分自身では変えられない社会環境に、
過度な期待や批判を向けるだけでは、何も変わりません。
地味で、遠回りかもしれませんが、
私は日々の努力を積み重ねることで、
まずは自分の身の回りから、少しずつ変化を起こしていきたい。
そんなことを、雪の降る投票日の帰り道に、改めて感じました。

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